2011.03.18 (Fri)
我が家の薪ストーブ
日頃、忙しい生活をしていると石油ストーブに頼る毎日ですが、電力不足による計画停電と節電のため我が家にある薪ストーブが、この数日大活躍しています。夕暮れと共に薪を燃やして早めに部屋をあたためから、昨夜は薪ストーブの上に鍋を置いて夕食のカレーを作りました。ろうそくのわずかな明かりだけで部屋が暗いため、使う食器も少ないほうがいいという妻のナイスなアイデアです。

【More・・・】
PM6:30過ぎです。部屋の電気が突然消えて、ろうそくの炎と薪ストーブのわずかな明かりだけになりました。うす暗い中、今年で90歳になる僕の祖母がリビングにやってきて、怖がって騒いでいるひ孫たちに一喝!(これくらいのこと、大したことはねぇ~)そのあとです・・・祖母が生き抜いてきた太平洋戦争時代の苦労話と、関東大震災時の話をひ孫たちに聞かせていました。僕も小さい頃から同じように事あるごとに聞かされてきた話です。僕の祖母は戦時中の10代の頃、「広田弘毅」という政治家のお屋敷でお手伝いとして住み込みしていたそうです。外務大臣、第32代総理大臣にもなったりっぱな方だったそうですが、当時、文官として唯一A級戦犯となり死刑になったそうです。旧家の長男として育てられた僕にとって両親に叱られた記憶はないですが、教育・しつけ係の祖母には毎日のように叱られていました。優しく、時には母親以上に厳しいばかりの思い出の多い祖母ですが、人の親となった今では、とてもありがたく思い感謝してます。ちなみに祖父は祖父で、大日本帝国陸軍・騎兵隊学校の教官をしていたようで、やっぱり厳しい人でした。怒った時など、子供だった僕のことを呼びつける第一声は、(おい!貴さま・・・)から始まる根っからの軍人です。
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